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- HISTORY -

第一章 OSAKA

1956年、

済州島から来た父(李春満)、

母(高祥玉)のもと、

5人兄妹の長男として大阪に産まれる。

父は苦労しながらもプラスチック加工工場を営む。

妹たちは民族学校に通ったが、

父はヨンボは将来は家業の

工場を継ぐために、

正しい日本語を話すことが必要と考え、

ヨンボを日本の公立小学校に通わせた。

名前は木村栄宝。

ところが、小児喘息の発作のため、

学校にはほとんど通えなかったという。

寂しい気持ちを紛らわすため、独学でギターを弾き、

歌を歌ったのがイヨンボの音楽の原点だ。

その後、中学、高校と進学し、

文化祭では、フォークソングを歌い人気者になる。

そのときの感動が忘れられず、父を説得。

家業の工場を継ぐ条件で、

1度だけ本格的に歌を学びたいと

歌謡教室に通う。

そこで、演歌の作曲家、桜田誠一氏から

スカウトされ、上京。

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第二章 TOKYO

東京では、住みこみのアルバイトをし、

歌のレッスンを受けた。

数々のオーディションを受け、1975年フジテレビ

「君こそスターだ!」に出場

「シクラメンのかほり」を歌い優勝。

しかし、ヨンボが家業を継ぐと信じていた

父の猛反対に合い、

デビューのチャンスを逃す。

優勝したことが自信になり、父との約束はあるが、

家業を継ぐのではなく、

歌手になると決意。ヨンボ19歳のことだ。

その後も、大阪には帰らず、クラブやパブでの

弾き歌いやキャバレーのムード歌謡の

ボーカリストとしての下積み生活。

夢は歌手デビュー。

ライブでオリジナル曲を歌い、チャンスを待った。

そんな下積み時代に出会ったのが

妻の由華利さん。

初めて出会ったのは23歳。

東京うまれ、東京育ち、

ちゃきちゃきの江戸っ子だ。

楽しい話や明るい笑顔、一緒にいると

元気になれる由華利さんにヨンボは惹かれた。

結婚したい。下積みの苦しい時代だったが、

彼女も同じ気持ちだった。

ところが、二人の結婚は、

日韓版ロミオとジュリエットだった。

両方の親から猛反対された。

苦しい時代を経験した

ヨンボの両親は日本人と結婚してほしくなかった。

国際結婚が珍しかった時代だ。

韓国人に対する差別もあった。

日本人の彼女の両親は娘が苦労するからと

韓国人と結婚するのを反対した。

彼女は両親から親子の縁を切るか、

ヨンボと別れるかを迫られた。

そして、ヨンボの父は息子の結婚相手は

韓国人でなければならないと譲らなかった。

だが、二人はロミオとジュリエットにはならなかった。

聡明な彼女は考えた。

 

“日本国籍を捨て、韓国国籍を

取って韓国人になればいい。”

 

そして、両親にはいつか必ず理解してもらう

と彼女は家を出た。

その後も説得を続け、ヨンボの父と

彼女の父が話をし、

5年がかりで二人は

結婚することができた。

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第三章 OSAKA

結婚を認めてもらう条件で

大阪に戻った。

由華利が初めてヨンボの産まれ

故郷を訪れた衝撃は今も忘れられない。

ヨンボの産まれ故郷は在日同胞の

多住地域、生野区だ。

 

自転車に乗ったおばちゃんたちが道路を

はさんで声をはりあげての会話。

カルチャーショックを感じながらも、

韓国人の嫁になろうと努力した。

 

 大阪で二女三男の子宝に恵まれた。

長女は妻に似て底抜けに明るい。

長男は日本人の由華利と

結婚した証が国籍に残っている。

妻は結婚時に韓国国籍の申請をしていたが、

思いのほか時間がかかった。

 

長女、長男の出産時には

日本国籍だった。

ところが、1年違いで日本の国籍制度が

父系制ではなくなったため、

長女は韓国籍、長男は二重国籍になった。

以前は父親が日本国籍である場合にのみ

認められたが、父親に限らず、

両親どちらかが日本国籍であれば、

その子どもは二重国籍になったのだ。

二男の出産の4日前に韓国籍が取得でき、

由華利も韓国籍になったので、

二男、三男、二女は韓国籍になった。

ただ、国籍は韓国籍でも、

日常生活では通称名の木村で生活した。

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第四章 木村栄宝からイヨンボへ

妻との結婚のときに知った

両親の祖国への思い。

家族と離れ離れになり、

異国で生活しなければならなかった両親の苦境。

民族学校で学んだ妹たちは

韓国語ができたが、

日本の教育を受けてきたヨンボは

韓国語ができなかった。

自分が父親になってそれが悔しかった。

40歳を過ぎたころ、

老いていく両親の思いに寄り添いたいと

韓国語を学び始めた。

ハングル講座では、言葉だけでなく

歴史や料理も習った。

そして、抵抗詩人として生きた

尹東柱についても知った。

 

衝撃的だった。同志社大学にある歌碑

「序詩」の前に立った時、

即興で曲をつけて歌った。

 

2001年5月のライブのタイトルは

「アリランの風にのせて」にした。

尹東柱の「序詩」を歌うのに、

木村の名前では歌えなかった。

ヨンボはイヨンボでなければならなかった。

2005年、故郷の生野区で

5月8日にコンサート

「在日の心」を行う。

韓国人として芽生えた

アイデンティティだったが、

何度か訪韓するうちに、

韓国の韓国人とは異なる

「在日」としてのアイデンティティを

持つようになったヨンボ。

 

韓国人であるにもかかわらず、

日本語しか話せないため、

韓国人と認識してもらえないことのギャップ。

ヨンボの思いは自然と

「在日」の1世に向かった。

ヨンボのルーツは韓国であるが、

それは両親だった。

 

異国で生き、老いていく1世の

心に響く歌を届けたかった。

コンサート「在日の心」が

開かれた5月8日が

韓国では「オボイナル」であることを知り、

日本にも両親の日を作れないかと

ヨンボは考えた。

 

そこで考えたのが8月8日。

母(はは)であり、パパ(父)である

この日を選んで8月8日に

「両親の日」コンサートを続けている。

後年、イヨンボの歌手活動を

取り仕切きってきたのが、

由華利だ。

彼女はコンサート制作や

関係者挨拶のため、

日本全国を飛び回る。

そして、コンサート終了後にはお礼状を出し、

一人ひとりのファンを大切にしてきた。

また、コンサートの際には、

二人の子どもたちも出演、

イヨンボファミリーとして

ヨンボの脇を固めてきた。

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第五章 SOUEL:

韓国にイヨンボの歌を届けたい

日本では、メジャーデビューこそしていないが、

3000人規模のコンサートの

チケットを完売。

実力を認められたと自負する。

在日韓国人として、歌手として生きる。

イヨンボの次の挑戦は祖国、韓国だ。

ヨンボの妻への愛は深いが、

妻由華利のヨンボへの愛も深い。

ヨンボの夢を絶対かなえると

由華利は行動を起こし始めた。

 

末娘は18歳でソウルに留学。

ヨンボに似て、ふわっとした雰囲気が魅力的だ。

ヨンボと二人、娘に会いに行くときは韓国での

芸能関係者への挨拶を欠かさない。

日本と韓国、二つの国の間で揺れながらも、

夢を描き、地道に行動し続けた。

日本人観光客を集める

冬のソナタのイベントではなく、

両親の祖国、韓国の人々に

イヨンボの歌を届けたい。

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第六章 東洋のジョンレノン誕生

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2019年『生命』で

念願のメジャーデビューを果たす。

 

世界最高峰のミュージシャン達と融合し 

永遠の生命観を綴った『生命』を

ニューヨークでレコーディング。

 

新しいジャンルで表現した。

まさしくヨンボスタイルであり、

東洋のジョンレノン誕生の瞬間だ。

第七章 イ・ヨンボのこれから

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気づけば盤石な家庭を築きあげ 

5人の子ども達も成長しヨンボの

夢を実現させるという由華利の

夢を叶えるだけとなった今。

 

メジャーデビュー目指す下積みの間に

書きためた曲は3000を越えた頃から数えていない。

 

1番人気は『ほら!春がきた!!』 

みんな心の中に幸せがあるんだよ 

カムサハムニダ(ありがとう)と言うと

春のようにワクワクして幸せいっぱいになれるよ〜と 

まさしく年中生きる喜びを感じられる歌だ〜

と大好評だった。

聴いたことのない人がかわいそうだからと

ファンから背を押されて全国88ヶ所でライブを完遂♪

ひと呼んで桜前線北上ツアー

と〜っても大盛況で新しい出逢いが固い絆になり

チームヨンボの基になっている。

─ふと由華利は思った。

ヨンボのことなら誰よりも知っているからと

自らマネージャー業を買って出た由華利だが、

ヨンボのことを知らない人に言葉を尽くして

一生懸命に伝えるけど ヨンボが歌えば

数倍もの早さでダイレクトに、

かつ、ストレートに心に入っていく。。。

 

ならば!!

もっともっと歌える場を

広げなければならない!

 

地球上のすべての人に届けるためには

このままだと寿命を延ばしても

間に合わないではないか!

急務だ~!!と

チャキチャキの江戸っ子の由華利の

気質が自らの背中を押す。

 

なぜなら二人にはこんな目標があるから。

ヨンボの両親の祖国を隔てる

38度線の非武装地帯を

やがて南北の友が歌い踊る平和公園に

したいと願い作った作品

『同胞のうた』がある。

 

コンサートでは会場を平和公園に見たてて、

この歌をみんなで歌って踊っている。

いつ出演依頼があってもスタンバイはOK🤗

その平和公園をはじめ

世界中の国境に🌸桜🌸の植樹をして

隣国同士の紛争のない

🌈PEACE LINE🌈へと塗り替えていきたい。

 

その暁にはヨンボバージョンの

民衆の歌

『エルドラド~笑顔の地球(ほし)~』を

レ・ミゼラブル級の

ミュージカルにして世界各国の子ども達と

作り上げ 後世に残していきたいと考えている。

 

そんな二人の壮大な目標実現に向けて

今日もどこかで誰かのために歌ってる

イ・ヨンボと 彼を見つめる由華利は

エンジン全開二人三脚で

猛ダッシュ🏃🏃💨💨💨ワッセワッセ

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夫婦になり、苦い思いや、
クスっと笑える出来事も、
二人で分かち合えて夫婦でよかったなぁと
感じる年齢を重ねている。

夫婦漫才ちゃいまっせ!
夫婦万歳でっせ~と
声高に笑う二人の魅力あふれる
トーク番組が好評だ。

ふたりが夫婦でよかったぁとの
実感を伝え少子化対策にも貢献する
夫婦万歳コーナーや、
いつまでも仲良く暮らすために
大切な環境問題や人権問題を取り上げる
SDGsコーナーも充実した
ラジオ番組を放送中。

FM千里 毎週火曜18時
​『イ・ヨンボの夫婦漫才ちゃいまっせ!
夫婦万歳でっせ~』

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